伝説のホテルマン

ホテル王になろう〈2〉ライフスタイルを売る天才たち
昨日ガイアの夜明けを見ていて、近藤マイク誠さんの死去を始めて知りショックを受けた。

マイクさんの経歴は以下の通りだが、私が彼の事を知ったのは彼がW Hotelを立ち上げた時。すごく格好良いホテルが出来て米国で人気が出ていると聞き、出張の際にシアトルとサンフランで泊まってみた。今までに無い、若者向けのヒップな感覚が満ちており関心したのだが、そのホテルを立ち上げたのが、元モデルでスターウッドグループで皿洗いから幹部に迄上り詰めたマイク近藤さんだったのだ。

この人は相当腕の立つ人だな。と思い、いつかお会い出来る事を願っていたのだが、宮崎シーガイヤの債権をリップルから請け負ってスターウッドの切り札として帰国したらしいのだが、過労から心筋梗塞で亡くなってしまったらしい。とても、残念だ。。。

Michael Makoto Kondo

 1971年、東京生まれ。米国のホテルで無給の皿洗いからホテルマン人生をスタート。
28歳で、世界に750ものホテルを運営するスターウッドの次長に就任。最年少・最高得点でシックスシグマのブラックベルトを取得し、30歳で部長、米国ホテル業界でスピード出世をし続けた後、凱旋帰国し、宮崎のシーガイアに営業本部長として再建に奔走した。
 感性とロジカルな思考能力の双方に長けたホテリエ。サービスをしても、現場のマネジャーをしても、マーケティングをしても、セールスをしても彼はすべてにおいて能力を発揮。
大和魂が込められたホテル、西洋のモノマネじゃない日本人の心が込められたホテルをつくる。それも自分ブランドのホテルを!」。
夢に向かって奔走した32歳、志半ばで夭折した伝説のホテリエ。